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心月寺について ~学校法人 心月学園の由来~

大圓山 心月寺 だいえんざん しんげつじ

朝倉教景を開基とし、天真派の流れを汲む龍興寺(現福井市八幡町・廃寺)三世桃庵禅洞大和尚を開山として教景の孫にあたる初代越前国主・一乗谷城主朝倉孝景公が祖父の教景の菩提を弔う為に一乗谷居館のかたわらに建立した。寺名の大圓山心月寺は教景の戒名である大圓院殿心月宗覚大居士による。
創建年代については、はっきりしていないが祖父の死後、文明年聞に至るまでは、応仁の乱を挟んで朝倉氏の戦国大名としての実権を確立する時期でもあり戦乱に明け暮れていたので、漸くに覇権を確立した後の文明10年頃(1478年)に創建したものである。
御開山・桃庵禅師は越後の出身で龍興寺3世輪住として慈眼寺23世及び32世再住龍泉寺80世をまた総持寺輪番277世を勤め文明17年(1485年)3月12日に示寂。
主な寺宝としては、国の重要文化財である初代孝景公と五代義景公の肖像画と両公所持の薙万と刀剣ニ振りがあり、いづれも福井市郷土歴史博物館に寄託している。毎年8月に一乗谷の朝倉家墓前において朝倉氏遺跡保存協会主催の朝倉五代追悼法要を行う。

朝倉孝景公(敏景)

朝倉孝景公(敏景)画像(重文) - 福井市心月寺蔵 -

龍吟山 松雲院 りゅうぎんざん しょううんいん

松雲院は朝倉五代義景公(松雲院殿太球宗光大居士)の菩提を弔うもので義景を開基とする。
慶長元年(1596年)太閤検地の頃 、朝倉氏滅亡後再度、一乗谷朝倉館跡に建立された心月寺が慶長8年(1603年)北庄へ移ったので、その跡を松雲院として残したものである。義景の他に太閤秀吉も開基とし、一乗谷の館跡の唐門は松雲院の門であり秀吉公寄進によると言われている。御開山は、朝倉氏滅亡後、転々と居を変えた心月寺を、越前藩主・結城秀康公の庇護のもとに北庄に再建せしめた心月寺中興10世義天長文大和尚であり寛永5年(1628年)5月20日示寂。
尚、昭和42年、史跡環境整備事業が始まると一乗谷朝倉氏遺跡を国の重要文化財として保存するために松雲院の移転問題が起こり、寺地は福井市に寄付された。
現在、松雲院は心月寺内に併設されている。

朝倉義景公

朝倉義景公画像(重文) - 福井市心月寺蔵 -

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